私が影響を受けたアーティストたち②

アーティスト

第二回目はファン・ゴッホと「ひまわり」について書いてみたいと思います。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/archive/3/38/20110617142748%21VanGogh_1887_Selbstbildnis.jpg?uselang=ja

フィンセント・ヴィレム・ファン・ゴッホ(オランダ語: Vincent Willem van Gogh、1853年3月30日 – 1890年7月29日)は、オランダのポスト印象派の画家。

主要作品の多くは1886年以降のフランス居住時代、特にアルル時代(1888年 – 1889年5月)とサン=レミでの療養時代(1889年5月 – 1890年5月)に制作された。感情の率直な表現、大胆な色使いで知られ、ポスト印象派を代表する画家である。フォーヴィスムやドイツ表現主義など、20世紀の美術にも大きな影響を及ぼした。

なお、オランダ人名のファン(van)はミドルネームではなく姓の一部であるため省略しない。

Wikipediaより引用

みなさんゴッホっていう画家をご存知ですか?(ナイツ風)

最近はそんなに名前を聞く事がないので、若い方の中には知らない人もいるかも知れませんね。

私の若い頃に「ひまわり」が(1987年)安田火災海上保険(現損保ジャパン日本興亜)に、約53億円(当時の為替換算)で落札されて凄く話題になりました。一枚の絵の取引としては最高額みたいでした。

とにかくエピソードの多い人で、「ひまわり」、「耳切り事件」、「精神を病んでいた」、「ゴーギャンとの愛憎劇」、「ピストル自殺」、「生前に売れた絵はたったの1枚だった」、など枚挙にいとまがありません。こんな画家他にいるでしょうか?

とにかく、「モナリザ」同様、話題性が先行して、本来そんなに絵に興味のない人たちを巻き込んで1大ブームを起こしたのでした。

7枚の「ひまわり」

よく知られている事ですが、ほぼ同じ時期に、ゴッホは7枚の花瓶に活けたひまわりを描いています。1888年の初頭に南仏のアルルに移住したゴッホは、その地方の光と美しさに圧倒されます。

ファン・ゴッホは、ベルナール宛の手紙の中で、「この地方は大気の透明さと明るい色の効果のため日本みたいに美しい。水が美しいエメラルドと豊かな青の色の広がりを生み出し、まるで日本版画に見る風景のようだ。」と書いている

Wikipediaより引用

そして、製作欲求の高まりの中、ここに後期印象派の共同体を作ることを夢想し始めました。これが彼の人生のクライマックスを迎えることになるのです。それが、ゴーギャンとの共同生活です。

それでは、時系列で「ひまわり」を1枚ずつ見ていきましょう。

1枚目

1888年8月製作 個人蔵(アメリカ)

アルルにおいての花瓶に活けたひまわり第一作目(とされています)。三本のひまわりが描かれています。緑みの明るい青の壁と黄みのオレンジ色のひまわり、緑の花瓶を介して赤みの強い茶のテーブル。ほぼ補色関係となっていますが、彩度と明度を落とす事により調和がとれ安定した構図の絵です。

2枚目

1888年8月 滅失(太平洋戦争中に芦屋市で焼失。山本顧彌太旧蔵)

第二作目、五本のひまわりが描かれています。この絵では完全な補色が使われ、明暗対比、デフォルメと簡略などが使われ、すこし不思議な雰囲気を醸し出しています。

3枚目

1888年8月 ノイエ・ピナコテーク(ドイツ・ミュンヘン)*2022年10月15日、環境団体ジャスト・ストップ・オイルの2人が、この絵画に対して、トマトスープを投げつけた事件が発生した。しかし、絵画の表面は、ガラスが覆われていたため額縁が損傷した程度で済み、絵画自体の被害は無かった。

第三作目、12本のひまわりが描かれています。ゴッホのひまわりのイメージの完成です。この作品はゴッホ自身が気に入ったらしく、これ以降のひまわりはこの作品をもとに描かれているようです。この絵から花瓶に”Vincent”のサインが入っています。

4枚目

1888年8月 ナショナル・ギャラリー
(ロンドン)

第四作目、15本のひまわりが描かれています。この作品ではほとんどの部分が明度と彩度を変えた黄色で構成されていますが、退屈や凡庸さは感じさせず名画として成り立っています。花びらの無いひまわりを丁寧なタッチで表現し、立体感と独特な雰囲気を醸し、壁とテーブルの境界に引かれた青がアクセントになっています。ゴーギャンはこの絵を高く評価し、ゴッホ自身もとても気に入っていたようです。

1888年 ポール・ゴーギャン 「ひまわりを描くゴッホ」 ゴッホ美術館アムステルダム

5枚目

1888年12月-1889年1月 SOMPO美術館
(東京)*安田火災海上保険が約53億円で落札した絵

ほぼ第四作目を模写したような作品。1888年12月の「耳切り事件」直前に描かれたとする説もあり、ゴーギャンと決別した後の落胆と絶望と混乱の中で彼に残された道は絵を描くことしか無かったのでしょう。基本的な構成は4枚目とほぼ同じですが、ひまわりは赤みを帯び、背景のトーンはひまわりに合わせて落とされています。また、テーブルのタッチは粗く筆跡を残しています。花瓶に”Vincent”のサインが無く、贋作の疑いがありましたが、鑑定の結果ゴッホの真筆と断定されました。

6枚目

1889年1月 ファン・ゴッホ美術館(アムステルダム)

15本のひまわりが描かれています。耳切りによる入院から復帰後に描かれた作品。5枚目よりさらにトーンは落とされています。ただ、絵画のタッチは4枚目に近いと思います。

7枚目

1889年1月 フィラデルフィア美術館(フィラデルフィア)

12本のひまわりが描かれています。6枚目と同時期に3枚目を模写した作品で、最初に自身が気に入ったひまわりに戻りました。ここで初めて赤のアクセントが加えられています。

番外編(パリで描かれたひまわり)

ゴッホはその他にもアルルに行く前、パリでひまわりをモチーフに絵を描いています。いずれも室外で描かれています。完成度はあまり高くないですが、ひまわりはゴッホにとって興味を引く存在であったようですね。これから少しして、ゴッホは自分の作風を完成させていきます。

ひまわりのある庭 1887年6月 パリ ファン・ゴッホ美術館

4本の切ったひまわり 1887年8月-9月 パリ クレラー・ミュラー美術館

2本の切ったひまわり 1887年8月-9月 パリ ファン・ゴッホ美術館

2本の切ったひまわり 1887年8月-9月 ベルン美術館スイスベルン

2本の切ったひまわり 1887年8月-9月 パリ メトロポリタン美術館ニューヨーク州ニューヨーク

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